福島ツアー(原発から14キロ地点と神隠しの町)

ツアー最終日最初に向かったのが浜通り農民連直売所「野馬土」でした。
地元の野菜、美味しいいちごやミニトマトをたっぷり用意して待っていてくれました。
検査をしているため、店頭に出るのは安全だといいます。
放射能測定の実演もやっていました。農民連の方とのお話しも予定していたようですが、
昨日の強風でカフェが壊れていて、実現しませんでした。

次に行ったのが南相馬の小高区(2006年原町市、鹿島町小高町と合併して南相馬市となる)
南相馬の市の中で原発に一番近い地区が小高です。そこにある「希望の牧場・ふくしま」。
今後の放射能災害の予防に役立てられ、科学データーを集積するためとして発足したプロジェクトですが、元々は30ヘクタールの農場に300頭の和牛の繁殖、肥育を手がけていたエム牧場浪江農場です。(東京電力福島第一原発から北西14キロの地点にある)
3月14日の3号機の爆発音が聞こえたし、自衛隊のヘリが放水をするのが自宅ベランダから双眼鏡で見ていたと言います(白い噴煙も見えたそうです)ここの代表吉沢さんが何の情報も得られない数日を過ごしたあと、
東京に抗議に行く時スプレーで、タンクに「決死究明、団結」と書いたのは遺言のつもりだったと言います。
被爆した多くの家畜たちが殺処分されたなか、ここの牛たちが命を守られたのは権力に対しての抗議に他なりません。
今汚染した牧草を全国から無償で提供して貰い、牛たちに食べさせています(寄付も募っています)
「汚染された牧草を食べさせられてカワイソー!」などという受け取り方をしてはこの問題の本質を見失ってしまうでしょう。

次に小高の街に行きました。途中の道路沿い津波にやられた田畑はそのまま放置、
車等の残骸も放置されたままで、海が近い事に驚きました。
警戒区域が解除になって1年近く経つのである程度片付いていましが、街に誰も居ないというのは奇異です。
←(街を歩いているのは私たちだけ)
(小高駅で主を待つ自転車の群れ)→
小高には2つの高校(商業と工業)があって、緊急避難をしたため自転車はそのまま放置されたといいます。
これが”国策”のナレノハテの姿です。住民はいつ、この街に戻ってこられるのでしょうか?
私たちは南相馬の追悼式典会場に行き記帳し、2時46分黙祷を捧げ帰途についたのでした。